ぞんびだ!2−2

 黒い貨車が黒い物体を山積みにして、左から右へと次々と通り過ぎていく。踏切が閉じて列車が通り始めて、ずいぶん時間が経っているような気がするけれども、貨車はまだ途切れない。長い長い列車だった。
 横を見るとぞんびださんが腕の皮膚をめくって遊んでいた。赤い、ぶよぶよしたものが見える。ゆっくりと血が染み出してきた。
「やめてください、そういうの」
「えー、だめ? ちょっと痒かったんだけど。いまさら隠すような関係でもないし」
「普通にしていて下さい……関係とか、どうでもよくて」
 ぞんびださんは、皮膚を元の場所に丁寧に伸ばしていった。めくれ上がった皮膚の端を指の腹で抑える。スマートフォンの画面に保護フィルムを貼る作業を、僕は思い起こした。まだ踏切は閉まったままだ。
 ルームミラーを見ても、後ろに車は見当たらなかった。
「ほら。きれいになったでしょ」
 ぞんびださんが腕を見せてくる。青白く細く、そして不思議な質感だった。傷口は全く見当たらない。
 もう何がなんだか分からなくなってきた。
「現実じゃないんですね」
「気付いちゃった? ウェルカム・トゥ……」
「死者の世界、ですか」
「そういうことに、しときましょう」
 すると一際大きいガタンという音がして、目の前から貨車がいなくなった。ゆっくりと遮断機が上がっていく。さっきまで晴れていたのに、今、まわりは霧がかかった様子で、視界が極端に限られている。
「さっきの貨物列車、何だかわかった?」
「石炭を運んでいるんですね」
「すごい、なんで分かったの」
「中学校のときに習いました」
 頭の中の知識を総動員して、僕はこれから向かうであろう目的地の想像をした。ぞんびださんが昔住んでいたという、北の炭鉱の町。


 川沿いのくねくねした道を進む。ところどころに木造の家が立っている。運転中だからきちんとは確認できないけれど、人の気配は感じられない。多分、死者の世界はそういうものなのだろう。ぞんびださんはずっと窓の外を眺めている。
「一本道、なんですね」
 僕は思ったことを口に出してみた。
「運転疲れた?」
「ちょっと」
「じゃあ、次の建物のところで止めてよ」
 前を向いて、ぞんびださんは言った。
 僕はアクセルから足を離した。減速しながら広い路肩に寄せる。そこは舗装されていなくて、車が停止するまでの間、砂利が賑やかな音を立てた。
 車から降りて歩み寄る。まさしく昔の雑貨屋という感じの店があった。懐かし系のアニメに出てくるような。トタンの看板が掲げられている。でも入り口のガラス扉にはカーテンがかかっていて、中の様子はうかがえなかった。
 僕の行動を、ぞんびださんは少し離れて観察している。ぞんびださんは降りてすぐに自動販売機に向かっていた。雑貨屋とは不釣り合いな、真新しい自動販売機がそこにあった。
「何売ってるんですか」
 僕は尋ねてみた。喉が乾いていて、何か飲みたいと思っていたところだった。ぞんびださんは何も答えなかった。こちらを見ていない。
 ぞんびださんの横顔が、大人っぽくまじめそうに見えた。僕より年上だから、大人っぽいのは当然なのだけれど。で、ちょっと意地悪な気持ちになった。死者の世界とやらに、慣れてきていた。
「あの、お金持っていますか」
「何その言い方、ちょっとむかつくんだけど」
 ぞんびださんは、自分は財布を持たない人だ、といつも強弁する。それで、細々としたものは大抵僕が支払うのだった。
「何かおもしろいの、買って下さい。なんでもいいので。お任せします」
「じゃあ、これっ」
 ピッという電子音の後、ガタッという音。ぞんびださんは服を気にしながらしゃがみ込み、缶ジュースを取り上げた。そしてゆっくりと僕のほうに寄ってくる。缶ジュースをつかんだ手を、こちらに伸ばす。今は売っていない炭酸飲料。細い缶。


「買ってあげたけど……飲まないでね」
 ぞんびださんが小さい声で言う。僕はとっさに何も言い返せない。
「じゃあ、私ちょっと出かけてくるから」
 ぞんびださんはそうつぶやいて口を閉じ、僕を見つめている。色々な思考が急に、僕の頭の中を駆け回り始めた。乗ってきた車の、ボディーの黄色がなぜか気に障った。
「か、帰ってきますよね……」
 やっとの思いで僕は返事した。

ぞんびだ!2−1

 前の1、2、3を1−1、1−2、1−3に変更しました。

 交通量の多い国道から外れた。真新しい道路が前方に延びているが、車は全く走っていない。さすがは北の大地。ここからが本当の長距離運転の始まりだ、と僕は心を引き締めた。横に座るぞんびださんは窓の外を無言で眺めている。何か思うところがあるのだろう。
 ぞんびださんは昔のことを思い出しているのかもしれない。でも、彼女の昔というのがどれくらい前のことなのか、僕には見当がつかない。ぞんびださんはゾンビだし、僕が過去のことを尋ねても、いつもはぐらかされてきたから。全くおかしな関係だ。
 飛行機の中で熟睡していたので眠くはない。先ほど借りた黄色いレンタカーを、時速60kmで運転する。真夏の昼下がり、車内はエアコンが良く効いていて快適だ。


 平らな道をずっと進んでいたが、やがて上りになった。道路の両側は森、大自然という感じがした。ちょっとした丘を越えたようで、その後すぐに下り坂になった。今度はとても見晴らしがよい。遠くの平地まで道路がまっすぐ続いている。
「すごい景色ですね」
「うん」
 ぞんびださんの少し気の抜けた返事。心ここにあらずという感じだった。
 スピードが出そうなところだが、坂が終わるあたりに信号があるのが見えていたので、僕は注意しながら運転する。その信号は、近づくのにタイミングを合わせたかのように赤へと変わった。
 ぞんびださんが、小さな、驚いたような声をあげた。ちょうど信号で止まった時だ。
「カーナビ、画面が消えちゃった」
 ぞんびださんが指差しているので、体をずらして覗き込んだ。何も表示されていない。信号がまだ赤のままであることを横目で確認して、電源スイッチらしきものを押して再起動させてみる。
「信号、青になった」
 ぞんびださんがそう言うので、僕は画面を見るのをやめ、前を向いて車を発進させた。
「動きました?」
 バックミラーをちらっと眺めながら尋ねた。後ろから車は来ていない。
「全然だめ」
 ぞんびださんが答える。借りた車で面倒なことになった。後でどこかに止まった時にきちんと見てみよう、と思う。通り過ぎてから気付いたのだが、さっき止まったところは交差点ではなかった。
「今の信号、何だろう。あんなところに信号なんて必要なのかなあ」
「あそこは学校。いなかの子供たちが、信号をわたる練習をするの。知らないの?」
 そんなのは知らなかった。生まれた場所が違うからか、それとも時代が違うからか。


「えーと、この後も道なりにずっと行けばいいから」
 見ると、ぞんびださんは道路地図を広げている。ちょっとびっくりした。
「その道路地図、レンタカー屋でもらったんですか?」
「何言ってるの。私が持ってきたに決まっているじゃない。こんなこともあろうかと」
「道、覚えてないんですか?」
「覚えてるよ。でも、もしもってことがあるし。ていうか、早速あったじゃない!」
「そうですね。助かります」
 ここは感謝しておくところだろう。ぞんびださんはしばらくその町を訪ねていないという。道路も景色も変わってしまっているだろう。時間の経過はゾンビにとってより残酷なのかもしれない。
「ケータイはどうですか」
 ふと思ったので聞いてみた。
「うーん、電波が入ったり入らなかったり、かな」
 これだけ広いと、そういうものなのかもしれない、と僕は思った。
 今度は、遠くの踏切の警報灯が点滅し始めた。周りはひたすら水田、あんなところに線路があるとは。遮断機の棒がゆっくりと回転して、道路を遮った。

ぞんびだ!1−3・終

この文章を書くきっかけになった西直さんのつぶやきを、本文中で一部改変して使っています。
http://twitter.com/nisinao/status/13376066826

 Wii Fitをしている最中、突然メロディーが聞こえてきた。クルマやビールのCMで使われていそうな一昔前の歌だ。ぞんびださんがボードから降り、音の方向に走っていったのを見て、ようやくケータイが鳴っているのだとわかった。ぞんびださんの部屋に出入りするようになってしばらくたつ。でも今まで彼女のケータイが鳴ったのを聞いたことはない。
「はい、リョウです」
 ぞんびださんが妙に丁寧に電話に出た。話をしながらケータイを持ってキッチンのほうに向かい、僕の視界から消えた。
 僕はテレビの電源を切る。何だか突然の出来事のように感じられた。けれど、よく考えると電話ぐらいおかしくもなんともない、のではないだろうか。だって僕のケータイにもメールしてくるぐらいだし。誰か友達(ゾンビ)、略してゾン友からかかってきたのかもしれない。きわめて普通、そう思うことにした。
 一方、僕はぞんびださんの言葉を思い出す。
「この不景気でね、お客さんが減っちゃって」
 そういう説明を聞いても、さっきのような「売ります、買います」のやりとりをしても、この瞬間まで僕は全く想像していなかった。しかし、ぞんびださんのあの丁寧な受け答えを聞くと、真実は容易に想像できる。


 キッチンからぞんびださんが出てきた。
「やったよ! お客ゲット。それも新規の!」
 彼女は満面の笑みだった。顔色はゾンビらしく、相変わらずあまりよくなかったけれど。
「よかったですね!」
 つられて僕は答えた。突然、心の中にもう一人の自分があらわれる。よかった、のか?
「ふうん……」
 そう言って、ぞんびださんが僕の顔を覗き込む。彼女には全部見透かされている、そんな気持ちになった。
 まず心を落ち着かせる。それから、彼女が望むようなやりとりをしようと決意した。
「ええと、本当に娼婦だったんですね」
「ねえ、今まで信じてなかったの?」
「てっきり冗談を言っているんだと」
 しばらくの沈黙。
「どうして体を売ったりするんですか?」
 聞いてしまった。ぞんびださんを見ると、少し悲しげに微笑んでいる。初めて見る表情だった。彼女がゆるやかに口を開く。
「んー、生きてるって感じがするからかな? あっ、死んでるんだけどね」
「……」
「…笑うところだよ?」
 そして、彼女はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「ゾンビ少女に惚れちゃだめだよ」
 ぞんびださんは歌うように言う。そして僕のシャツ、制服のズボンと順番に触ってくる。
「ねえ」
 彼女の鼻先が、すぐ近くにある。
「何ですか」
「貸してほしいものがあるんだ」
「何でしょう」
「自転車の鍵」
 高級娼婦なのに自転車で仕事場まで向かうんですね。ぞんびださん。


「それじゃ、仕事の時間まで元気に遊びましょう」
 ぞんびださんがそう言ってテレビの電源をつける。僕はもやもやした気持ちを抱えていた。
 でも突然気付いた。ここで『腐っていても』仕方がない。
「何、顔がにやけているよ」
 そうかもしれない。そうでないかもしれない。僕はゾンビじゃないんだ。

ぞんびだ!1−2

 ぞんびださんがソファーに残したビニールの包装とアイスの棒ををかき集め、コンビニの袋に入れる。それを部屋の隅のゴミ箱に捨てた。振り返るとすぐそこにぞんびださんがいた。全く気配に気付かなかった。
「脅かさないでください」
「ねえ、お金」
 そう言ってぞんびださんが手を伸ばしてくる。こちらに手のひらを見せる。
「何のことでしょう?」
「私のこと、買ってくれるんでしょう?」
「いえ、買いませんって」
 僕はすぐさま否定した。
「高校生が小遣いをこつこつためて、娼婦を買う」
「だから、買いません。ていうか、勝手に「いい話」っぽくしないでください」
「そうなんだ……」
「そんな寂しそうな顔をしても、だめです」
「ところで、私、死体?」
「死体です」
 即答してしまった。ぞんびださん、傷ついただろうか、と様子をうかがうと、そんなことはなかった。こちらをみてにやにやしている。そこで僕は気付いた。
「『私したい?』と聞いたんですか」
 ぞんびださんは黙って頷く。
「『』は全く聞こえませんでした。そういう引っ掛けはやめてください」
「仕方ないなあ、じゃあちょっとだけ」
 言い終えると、ぞんびださんはソファーのところに戻りそこに屈み込んだ。下のほうから何かを引っ張り出した。
 バランスWiiボードだ。いつの間に買ったのだろう?
「食べた分、すぐに消化しないとね」
 ぞんびださんは楽しそうだ。でも果たして、ゾンビに健康が必要なのだろうか。


 その後しばらく、自称高級娼婦のぞんびださんとWii Fitをして遊んだ。僕たち二人はとっても健全だ。

ぞんびだ!1−1

西直さんのゾンビ少女に触発されました。

 ぞんびださんの部屋には冷蔵庫がない。
「だって私、食事する必要ないし」
 ショートパンツ姿のぞんびださんはそう言いながら、僕が買ってきたアイスの箱に手を伸ばす。ファミリーサイズ、6本で315円(税込)。高くはない。けれど、親からもらった小遣いをやりくりしている身だから、無造作にレジに持っていけるほど安いものでもない。僕の、そういう高校生らしい小さな葛藤なんか、彼女にとってはどうでもいいことなんだろう。ぞんびださんはあっという間に一本を食べ終えた。そしてもう一度、僕が持つアイスの箱に手をつっこむ。二本目をつかんで、僕のそばから離れる。長く青白く細い足を投げ出すようにして、ソファーに座った。ビニールの包装を手早くむき、かぶりつく。
「食事の必要はないんですよね、確か」
 いつもの疑問が浮かんだが、口に出さないでおいた。


 ゾンビのぞんびださんから、アイスを買って今すぐ来い、という簡潔なメールが送られてきたのは、僕が学校を出た直後のことだった。帰宅部の自分には下校後の予定なんか皆無なので、命令されるがままにぞんびださんの部屋に向かった。アイスが溶けることのないように、ぞんびださんの部屋に一番近いコンビニで買い物をする。自転車で十五分。同じ町内に人外のものが生息しているなんて、ちょっと前までは想像できなかった、というか今も信じられない。


 『ぞんびだ』というのは、僕の考えた名字だ。彼女をケータイに登録するのにその四文字を使ってみたのだ。ひらがな四文字にすれば、かわいらしくなるかなあと思ってやってみたのだが。
 一方、彼女は『りょう』と名乗っている。
「『りょう』ってどんな字を書くの?」
 会ってすぐのころ、僕はそう尋ねた。
「『リョウキ的』の『リョウ』。ほら私、ゾンビだし」
 ぞんびださん(りょう)はとても明るく答えた。分かるような、分からないような微妙な説明だと僕は感じた。リョウキ的って……。
「狩りをする、という意味の『シュリョウ』の『リョウ』って言えばいいのに」
「え、何、本気にしてるの? そんな変な漢字つかうわけないじゃん」


 そんなこともあり、今では心の中で『ぞんびだ』と呼ぶことにしている。

私信(後で消すかもしれません)

(あの人のあのつぶやきに対して)
書いたら読みますよ。そういうジャンルだから特に楽しみ、というわけではなく(強調)、何だか言い訳っぽくなっていますが、いつも普通に楽しく読んでいます、ので……。

発泡酒24本入りケースと踏み切り2

短編第86期に『見えない線』というタイトルで投稿したものです。

 歳下の同居人が絵を描いている横で、私はゴルフ中継を見ている。彼女の周りにはカラフルな本が積まれている。それらは全て資料だ。日曜日、朝。私は発泡酒を飲む。


 帽子をかぶったゴルファーが、パターから手を離すことなく身を屈めている。グリーン上、遠くにあるらしいカップを見つめている。大勢の観客に囲まれている中で堂々としている。さすがはプロだと思った。ここでカメラが切り替わり上空からの視点になった。ゴルファーとカップが画面の端と端、離れて映っている。やがて解説者がぼそぼそと語ると、画面上、ゴルファーとカップは白い緩やかな弧で結ばれた。このラインを取ればバーディーになると言う。
 テレビの画面に仮想の線を描くというのはすごい技術なのだろうか。私は考える。こんなのはゲームだったらありふれている、そんな気もする。少なくとも違和感はない。


 横目で彼女の様子をうかがった。ペンを握り、タブレットの上でそれを素早く往復させている。PCの中の人物の絵は完成に近づいているようだ。私には絵心はない。彼女の絵のクオリティの高さにしばらく見とれてしまう。でも度を超すと、気付かれてしまうと、彼女は描くのをやめてしまう。私はテレビに向き直る。


 今度はゴルファーの背中が映る。よく見るとグリーンは水平ではない。白い弧を思い出して納得した。ゴルファーはさして気負った様子でもなくパターを振る。そして画面手前から奥へと球は転がっていく。解説者の予想した通りの軌跡を描き、球は引き寄せられているかのようにホールに向かい、ついに音を立てて穴に落ちた。わき起こる歓声がテレビから聞こえてくる。
 彼女が手を止めてこちらを見ている。
「入ったの?」
「うん、入った。10m以上かな、長いロングパットが」
 私は答える。
「すごかった?」
 彼女がまた問う。言葉の重複についてはスルー。
「すごかった。何であんなことできるんだろう?」
 私はそう答え、そしてふと気付いた。


「本当だね」
 何気ない同意の一言を彼女はつぶやいた。そしてテレビを見やり一瞬ゴルファーの姿をとらえたようだ。次の瞬間、自分の描きかけの絵へと戻っていく。
 再び動き出した彼女の手を見て確信した。彼女にもゴルファーにも『線』が見えている。種類こそ違うが。一方自分は、テレビに映ったラインを当たり前だと感じてしまっている。
 私は発泡酒を飲んだ。それは生ぬるく、もはや金属の味しかしなかった。