平年を上回る暑さ(第二回萌理賞 締め切り・字数オーバー)

 朝のワイドショーが天気予報のコーナーになった。気象予報士が出てきて「午後からぐんぐんと気温が上がり、暑くなります」なんて言っている。けれどアヤと二人きりのこの部屋は、エアコンのおかげでむしろ涼しいぐらいだ。アヤが問題に取り組んでいる間、僕は小さい椅子に座ってぼんやりとテレビを眺めていた。彼女は勉強のときにいつもテレビをつけているのだ。
 何度もこのバイトをしているが、実際ここまで楽だったことはない。アヤはとても理解力がある。正直家庭教師なんかいらないぐらいの。それでも彼女の親は夏休みの間だけ家庭教師をつけることにしたようだ、理由はわからないが。


 アヤに目を向ける。ノートに向かって一心不乱に書き付けている。集中している様子が確認できたので、僕は遠慮なく彼女を観察することにした。白いTシャツにベージュのハーフパンツ。ボーイッシュでもしっかりと女の子らしく見えるのは、いい感じにTシャツが小さめだからだろう。今日は髪を高いところで結んでいて、いつもに増してすっきりとした印象を与える。
 ちょっと年齢のことを考えた。現在自分は大学生でアヤより年上だ。でも自分が高校生だった時分、アヤのような同級生に普通に接することができたかというと、それはちょっと疑問だ。普通のかわいいじゃなくて、少し特別なかわいい。一例を挙げるなら通り過ぎた人がわざわざ振り返るぐらいの。
 アヤが顔を上げた。考えていることを悟られたかと、一瞬ドキリとしたが平静をすぐに取り戻した。
「どうしたの」
 尋ねるとアヤはこちらを向いた。そこで僕はアヤの顔を視界にきちんと収める。
「誰か来た」
 アヤはそう言って、またノートに向かった。
 今僕が家庭教師をしているこの部屋は、アヤの家の二階にある。隣は彼女の妹、ミカの部屋だ。そしてアヤが言うとおり誰かが来たようで、階段を上がってくる音がする。
「妹さん、いるの?」
 僕の問いかけに、アヤは黙って頷いた。彼女の親は共働きで家にはいない。当然普通の大人には夏休みなどないのだ。自分も後数年するとそうなるんだな、今のうちに夏は楽しまないとな、でも結局バイトばかりするんだよな、でもこういうバイトだったら悪くないよな……と考えていると、ドアの音がして誰かが隣の部屋に入っていった。
 アヤはまだ問題をやっている。僕はまたテレビを見る。見飽きた通販番組だった。


 アヤの横に椅子を移動させ、答えあわせをしているときにそれは始まった。
「あんっ」
 小さかったが明らかに尋常ではない声が、近くから聞こえてくる。
「あっ、ああん」
 もはや疑いはなかった。隣の部屋で行為が起こっている。さっき階段を上がってきたのは、ミカではなかったのか?
 アヤは黙ってテレビのボリュームを上げて、
「ミカはかわいいから、ね」
 と言う。かわいい女の子同士でそう言い合う意味が、男の僕にはどうしてもわからない。
「うちの親だってね、きっと私よりミカのほうがかわいいんだ」
「え、何言ってるんだよ」
「『ミカのことちゃんと見ていてあげてね』なんて。でもミカを見てると、きょうだいってこんなに違うんだ、って思う」
 喘ぎ声が大きくなった。アヤの顔がすこし曇る。
「こっちでテレビつけてたって、ヤッちゃう。結局隣の部屋に誰かがいるなんて気にしてないんだ、ミカは。で、後で『ごめんね。誰にも言わないでね』って私のところに謝りに来る」
 そこでアヤは突然態度を変えた。
「ごめんなさい。こんなこと先生に言っちゃって……」
 確かに今まで見てきて、こんなに多弁になったことはなかった。長女だから、期待されているから、無意識のうちにそれに応えようといつも懸命なのかもしれない。アヤと目が合った。その途端、僕が持っていたはずの年齢差からくるアドバンテージは全部吹き飛んでしまった。


「先生……」
「昼ごはんを食べに行こうか」
「私、今日はそうめんにしようかと思ってたんです。先生もご一緒に」
「いいからさ、外に出ようよ」
「でも……」
 もう仕方ないぐらいに僕の気持ちは明白だった。こんなアヤだから、男の家庭教師が来ることになっても両親は全く心配しなかったのだろう。でも。
「じゃあ、先に外に出て待ってるから」
 言い残して部屋から去ろうとする。出掛けに僕はテレビの主電源を切る。振り返りアヤの顔を見つめる。もうそこにはさっきの暗さはなかった。
 夏は暑いほうがいい。脈絡もなく僕はそう思った。