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 スーツケースを置くため、部屋の奥に進んだ。そこは倉庫と呼ぶには雑然としていて、棚の上の物などいつ落ちてきてもおかしくない状態だった。無理やり足元にスペースを作っていると、隣に無造作に積んである新しい箱に目が行った。
 一番上のを取り上げる。側面から開けて中身を引き出し、分厚いマニュアルを持ち上げると、そこには飽きるほど見たケータイがあった。新品のそれを持ち上げ、色々な角度から眺めてみる。無意識のうちにボディ側面の塗装の切り替わりをチェックしていた。デザイナたちがそこに妙にこだわりをもったせいで、筐体形状が二転三転して、そのたびに内部アンテナの設計がやり直しになったのだった。
 だが、それは過ぎたこと、つまりどうでもいいことだ。
「ヤス、何を見てるんだ」
 後ろから右田の声がした。彼に開発時の苦労話などしても仕方がないので、違う話題を振る。
「それにしてもずいぶん集めたな。このケータイ、日本でもまだ品薄なんだぞ」
 右田を見上げる。彼は大男で、毎週やっているというテニスのせいで顔はいい色に焼けている。白い歯を出してニヤリとしている。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに。
「おかげさまで好評でね。こういうのは日本以外のメーカーはまだ作ってなくってね」
 答えにはなっていないが、どうやら彼のビジネスはうまく回っているようだ。同い年の彼は大きな声で喋りよく笑いよく怒る。自分なんかとは対照的な性格だし、今勤めている会社なんかにも絶対にいないタイプの人間だった。独立して会社を興すなんていうのは、こういう人間じゃないとできないんだろう、と思う。
 突然、横のドアが開いた。エレンだった。右田に向かって広東語で叫ぶ。いや実際、それは叫んでなどいない(彼女自身がかつてそう説明していた)のだが、あまりの早口のためいつもそう感じてしまうのだ。右田が広東語で返す。やりとりを聞いていると、香港にいるんだったと改めて実感させられる。


 ケータイの中から取り出した基板に半田付けして、むりやり線を引き出してアナライザにつないだ。ソフトを走らせる。
「どれぐらいかかる?」
 右田が問う。
「急かしているわけじゃないんだ。でも、結構な数のお客が待っているんだよ」
 その分、多く金を払うからさ……暗にそう言っているようだ。けれど今回ばかりは自信がなかった。やってみないとわからない部分が大きい。海外でのSIM解除の蔓延は、会社としても見過ごせなくなったようで、法的手段に訴える予定もあると聞く。その辺の関係で今回は一人で香港に来たのだった。
 前一緒だった高梨は、
「いつでも電話してくれればいいからさ」
 と言ってはいたけれども。