(3; はるか)信号が青になったらまた走り出そう

 北山は弟そっくりだ、と思う。親が離婚してから滅多に弟に会うことはないけれど、彼と話している時に生じるこの感情は同じ種類のものだ。言いたいことがあるのに黙っている、そういう様子が手に取るようにわかる。そして私は、上から見下ろすようなものの言い方になってしまう。
 今、北山は私のほんの少し後ろを走っている。マラソン中継などで「もう完全に追いついたと言っていいと思います」とコメントされるような、微妙な位置。こんなに道幅が広いのに、あえて私の真横に来ないのだ、と思う。
 私の手も足もごく自然に動いている。リラックスして周りを見ながら走っている。何度も通っている道だから、見慣れた光景が続く。よく手入れのされた花壇。子供用の自転車が何台も止めてあるカーポート。妙に壁が高い家にはカタギではない方々がお住まいだと、彩がこの前言っていた。
 やがて高架の道路が近づいてくる。そこは常に日陰で、上を走る車の音がうるさく響く。高架からは側道が降りてきていて、横断するために大抵長い時間信号待ちをさせられる。信号を見ると今日もいつものように赤だったので、ゆっくりと私は走る速度を落とした。そして交差点の手前で立ち止まると、ポケットからシリコンオーディオを引っ張り出した。


 イヤホンを両耳につける。使い方がよくわかっていないから、本体をしばらく眺める。手のひらよりも一回り小さい大きさのそれの側面に電源スイッチらしいものを発見した。
「はるか先輩もそれ買ったんですか!」
 突然北山が話しかけてきた。私は片方のイヤホンをはずした。
「僕も昨日同じの買ったんですよ。色違いですけど」
 彼もポケットから同じ形のシリコンオーディオを取り出した。私のオフホワイトとは異なり、彼のは光沢のある銀色をしている。
「その色、僕も欲しかったんですけど、すぐに売切れてしまったそうです。先輩はどこで買ったんですか?」
 初めてではないか、と思うぐらい親しげに話しかけてきた。色が希望でなかったにしろ、買えたことがうれしくてたまらないようだ。ところでどうやらこれは人気商品のようだ。しかし……。
「プレゼントでもらったの」
 私がそう言うと、どうもその答えは予想外だったらしく、彼は何か言葉を捜している。
「母親からなんだけどね」
 すかさず事実を伝えた。嘘ではないのだが、正確には母親の店の常連さんが、
「はるかちゃんに」
 と言って母親に渡したらしい。受け取ってしまう母親も母親だ。娘のことをちょっとは心配してくれてもいいんじゃないか、普通。


 北山が意味不明の、適当とも思える相槌を打った後、会話に間が空いた。そのためか彼もイヤホンを耳につけた。私も電源を入れる。横の信号が赤に変わるのが目に入った。正面の信号が青になったらまた走り出そう。