ぬこ1.5

短編第79期に『春と食欲』というタイトルで投稿したものです。

「ねえ、味噌汁変えたでしょ」
 サヤカの不機嫌な声がした。僕は頼まれたケチャップを冷蔵庫から取り出そうとしていたのだが、サヤカはすぐ後ろに来ていた。
「袋は? もう捨てた?」
 今朝開封したばかりのインスタント味噌汁のパッケージを差し出す。36食入り980円。近くのスーパーでおすすめされていた。
「ふうん、PBねえ」
 プライベート・ブランドのことをPBと呼ぶんですか、と思ったことを口に出そうものなら、むくれてしまって大変なことになる。僕は黙り、サヤカが朝食のテーブルへとおとなしく戻ってくれることをひたすら願った。でもそうはいかないようだった。
「製造所固有記号って知ってる?」
 袋に書かれた文字を指差しながらサヤカが問う。残念ながらもしくは幸運なことに知らない。首を振った。
「ふうん、そんなことも知らないんだ」
 サヤカはそう言い、そして少し機嫌を良くしたようだった。僕の顔をのぞき込んだ後、キッチンから揚々と出て行った。


 実際問題、家計は悪化しているようだった。浪人を続ける予備校生のサヤカと彼女の姉、ヒナコの生活はヒナコの株取引による収入に頼っているからだ。サヤカは人間であるが、ヒナコは猫の姿をしており、その辺の事情は僕は詳しく知らないのだけれども、色々大変だと思う。僕はただの『お手伝い』なので、毎月のバイト代さえきちんと入れば詮索する必要などない、のだ。多分。けれどもサヤカとヒナコに食事を提供するのが仕事である以上、お金のことが気にならないわけでもなく。


「また春が来たね」
 朝食の後、窓の外を眺めながらサヤカが言う。ソファーに深く沈みこむように座っていて、そして目を少し細めている。リビングには日差しがあふれ明るい。僕は濃く作ったコーヒーを飲み、サヤカが通う予定の予備校の申込用紙に目を通す。僕は後でそれに記入しなければならない。ヒナコは隣の和室にいて、こちらに丸い背を向け新聞を読んでいる。時々しっぽが揺れる。
「……花見」
 サヤカが小声で言った。僕はコーヒーを一口飲む。
「は、な、み。聞いてる?」
 聞いています。
「お姉ちゃんと一緒に花見に行きたいな。桜ってさ……そうだ」
 何でしょう?
「どんなお弁当がいいかなあ」
 サヤカのクイック話題チェンジ。僕は食欲が満たされていて食べ物のことを考えられない。
「今年は中華弁当! というわけでおいしいの作って」
 ヒナコも聞いていたようで、にゃーんと鳴いた。

ぬこ2

ぬこ(前回)

 よい天気の土曜日、サヤカとヒナコと僕は散歩に出かけることにした。
 まずヒナコに猫用の特別なリードをつける。胴輪といって、両前足と胴体の三つに輪がかかるようになっているものだ。今のところ意識は猫ではなくヒナコなので、取り付けるときにも暴れることはない。サヤカがヒナコの右前足、左前足と順番に持ち上げ、輪に通していく。僕はそばに立って、その様子をぼんやりと眺めている。しゃがみこんでいるサヤカの後姿が見える。今日は無地のパーカーを着て、ローライズのジーンズをはいている。自分の彼女以外の若い女性のローライズについてどう反応すべきか、というのは僕と僕の友人の間での懸案の一つだ。やがてサヤカはヒナコを抱きかかえ、立ち上がった。


 部屋を出てエレベータに向かう。下ボタンを押す。ドアが開く。中には誰も乗っていない。乗り込む。閉めるボタンを押す。一階のボタンを押す。二人と一匹は終始無言だった。
 横に立つサヤカの横顔を見たが、どういう感情かはわからなかった。ヒナコを見ると、サヤカに抱かれたままで同じく横顔だった。そこで僕は視線を外したのだが、外したということはつまり僕もサヤカとヒナコと同じように身じろぎせずエレベータのドアをひたすら見つめるということになり、そこから思考は飛躍して、僕はエレベータという空間の不思議さを感じた。なんか、ありえなくないですか? エレベータの中って。サヤカにそう話したら伝わるだろうか。それともまたいつものように冷たく、見下すような目をするだけだろうか。考えているとドアが開いた。ぴょんとヒナコがサヤカの腕の中から飛び出る。リードがするすると伸びていく。エントランスのガラスの自動ドアが左右に開き、ヒナコが明るい外へと駆け足で出ていく。次にリードを持ったサヤカ。そしてサヤカから重い荷物を持つようにいわれた僕が続く。猫、人、人。縦一列になって散歩が開始された。

発泡酒24本入りケースと踏み切り

 かわいさと残虐さを兼ね備えた絵を描くブラックストーン氏は、私にとっての『神』である。ウェブ上でかいま見せるイメージとは異なり、神は小柄で大変かわいらしい女の子であられる。私がオタ全開だった時に神の作品に出会ったのだが、それは五、六年前のことなので、当時神はまだ中学生だったわけだ。


 二時間ほどの残業を終えて帰宅した。
「ただいまあ」
 ふ抜けた声を発しながら私はドアを開けた。廊下の奥の居間が明るくなっていることに少し驚いたが、すぐに思い出した。ブラックストーン氏がいるのだ。前カレが出て行ったからというもの、私はずっと自分で電気をつけてきたので、部屋に人がいるということが普通にうれしい。加えてその人というのが神なのだ。同棲していたアイツが逃げ出して、広い部屋を少々持て余していた私の事情と、上京する資金に悩んでいた神の事情がうまく結びついたのだった。
 ところで、同居するにあたって神からは「ひかりと呼ぶように」と命じられている。ていうか『神』っていうのがそもそもおかしいんだけれども。
 ブラックストーン氏、本名・黒石ひかりさんは居間の中央に落ち着かなさそうに立っていた。大きな座卓の上に大きなモニターと大きなタブレットが置いてあり、つい今までそれで作業していた様子だ。どれもみな大きいものなので、真ん中にいるひかりがずいぶんと小さく見えた。髪の毛を後ろでまとめ、メガネをかけていて、私のイメージの中の漫画家センセイとぴったり重なる。私のコーデとしてはありえない、白いフェミニンなカーディガンを着ている。
「おかえりなさい、みさきさん」
 神、いや、ひかりにちょこんと頭を下げられてしまった。この子のこういうところ、狙った行動なのかどうか分からないけれど、自分にはない、正直無理的な振る舞いを見せられると、自分が女として劣等であることを感じてしまう。絵だけじゃない、やっぱりあんたは神っすよ。


 日曜日、起きるとひかりの姿はなかった。座卓にメモが置いてあり、スーパーの朝市に出かけるとのことだった。彼女のケータイに電話するとまだ買い物途中だという。五分で用意をして合流する、と告げた。
 電話を切ってから、さすがに五分は短すぎだろうと思ったが、女に二言はない。ばたばたとあわてて用意をして、部屋を飛び出した。しかし結局ひかりと一緒に買い物をすることはなかった。私は踏み切りで足止めを食らってしまったのだ。


 轟音を立てて右から電車がやってきて、私の目の前を通り過ぎていく。遮断機は常にカンカンと不平を訴えるような音を鳴らしている。右からもう一回。さっきより手前をさっきより早い特急電車が。踏み切りが閉まる直前、反対側にひかりがいたような気がする。走っている電車がもどかしい。ええい、立体交差化はまだか。
 やっと行った。そしてひかりがそこにいるのを確認した。彼女も私に気付いているようで、こちらに向かって大きく手を振る。遮断機は鳴ったまま。ひかりは何かを言っている様子だ。いや、だから聞こえないって。ケータイ使おうよ。
 ひかりは両手で何かを持ち上げ、私に見せようとしている。派手な紙箱、発泡酒のケースだ。あれは重いはずだ、と思った瞬間、ひかりはよろけ、そして同じタイミングで左から電車が来て私の視線をさえぎった。


 遮断機が上がるとすぐに、私はひかりのそばへと走っていった。ひかりは笑っていたが、やがて私の口調が厳しいことに気付くと、神妙な顔に変わった。ひかりを守らなくちゃいけない、という使命のようなものを、この時私は意識した。自分の今いるこの踏み切りで、人生というと大げさだけれど、何かが変わったような気がした。

【降臨賞】そして伝説へ

「立たないフラグは」
 私がそう言うと、ルリはうれしそうな顔をした。『フラグ』という言葉の意味はルリから教わったのだった。私は続ける。
「無理やり立てましょう」
 ルリも応える。
ホトトギス
 言い終えると、少しリラックスできた。ホトトギス、というルリの加えた下の句はお約束としてガン無視で。低く小さいモーター音と時々の細かい揺れを除くと、まるでここはルリの部屋のようだ……つい地上からの高さを忘れてしまう。窓の外の冬空にたくさんの星が光っている。目を下に移すとルリと私の通う高校が見つかった。上空から眺めると、民家は照明を使っているためだろう、ぼんやりと明るい。一方学校のある一角は暗く沈んだように見える。
 決行前に私は地図を再度確認する。
「隆志は予備校の授業が終わるとまっすぐ家に帰る」
 つぶやきながら地図上の線をなぞる。
「自転車で商店街を走りぬけ、近道するために公園に入る」
 公園にはバツ印がつけてある。
「人気のないその場所がベストってわけ」
 ルリが口を挟んできた。


 私はケータイを取り出し、時間も確認する。
「いくらにぶい隆志でも、目の前に女の子が降ってくれば、それが恋愛対象だってことぐらいわかるでしょ」
 ルリが言う。にぶいは余計だ、と私は思ったが黙っていた。
「まさに飛行少女」
「ひょっとして、飛行ってあの……」
「シンナーを吸ったり、趣味の悪いパーマをあてたりする、非行にかけてみました」
「そんなの最近ないよね」
「そして、わが高校には『空から落ちてきて告白が成功すれば、その愛は永遠のものになる』という伝説が生まれるっと」
 正直伝説はどうでもいい。ルリの顔は、この前知ったワクワクテカテカという形容がぴったりくるものだった。私は深呼吸する。
 モニターに隆志の姿が映った。次にルリと目が合った。
「じゃ、私行くね。ルリ、ありがと。当たって砕けろ、だよね」
「大丈夫、うまくいくって。あ、でもスピードコントロールに気をつけて。下手して当たっちゃうと隆志、倒れちゃうよ」
 それって、むりやり押し倒すということになるのだろうか……私は変な想像をしてしまう。
「隆志は起き上がり、仲間になりたそうにこちらを見ている」
「ルリ、なにそれ」
ドラクエ、知らない? 有名なのにな」
 いつものルリの会話だ。ルリの顔を見た。元気付けられる笑顔だった。私はハッチを開ける。冷たい風が入り込んでくる。
「グッド・ラック」
 ルリの声を聞いて、私は頭から外へと飛び出す。意識を飛ばさない程度に、でもできるだけ早く落下する。目の前の光景が急激にひっきりなしに変化する。風が吹きつけ、私の髪を後ろにもっていく。両手を広げて方向を変えつつ進むと、やがて隆志の自転車のライトが遠くに小さく見え、そしてそれはだんだんと大きくなる。もうそろそろ隆志の目にも、私の姿が映っているに違いない。隆志が自転車を降りた。そのちょうど三メートル前に私は上手に着地し、すかさず髪とスカートをささっと直した。
 隆志があっけにとられた顔でこちらを見ている。私はルリがいる上空を見やる。あともうちょっと、がんばってみる。自分で自分に言い聞かせた。

量子的な少女

 一人暮らしをはじめてから数日経ったとき、突然彼女は部屋の片隅に現れた。長い髪がまず目に入った。それから透けるように白い肌。というかそれは本当に実際透けていて、向こう側の壁の模様が見えることもあった。SFのストーリーに出てくる、立体映像のようだった。
「話し出すと長くなるんだけれどね」
 ありがちな前置きをしてから彼女は語り出した。けれどもそれはさほど長いものではなかった。むちゃくちゃなものだったけれど、とりあえず彼女が姿を消してから、今に至るまでの説明にはなった。
 彼女の「存在」は、今となっては確率でしか定義できないのだという。
「でも、私がここにいるのは『確か』」
 そう言い、彼女はこちらに手を伸ばす。よく見ると手は小さい粒の集合でできている。その疎な部分はきらきら光ったり、時々は光らずに後ろの景色を映し出したりする。一方、密な部分は濃い色をしている。そして一際濃い部分が僕の手の甲をすうっと触れた。それは確かに人間の感触だった、ような気がする。
「信じてもらえた?」
 僕は無言でうなずく。
「それじゃあ、今日は私はここで寝させてもらうから」
 片手を上にあげて、体を伸ばしながらあくびを一つして、それから彼女は体を横たえた。その最中も彼女の体の輪郭は濃くなったり薄くなったりを繰り返していた。そして彼女は目をつむる。やがて寝息を立てる。
 僕は彼女に近づき、彼女の寝顔をまじまじと覗き込んだ。たくさんの疑問はあったけれど、その無防備な寝顔を見ているうちにどうでもよく、はならなかった。色々と整理する時間が必要だ。立ち上がってキッチンへと向かう。何か飲んで考えることにした。

『数学ガール』読了とそれに伴う募集について

 出張ついでに買いました、『数学ガール』。で、新幹線の中で読みました。大体の内容はwebで既読でしたが、一冊の本にまとまったことで交響曲へと昇華したような気がしました……ええと、音楽ど素人のくせに、知ったかぶった例えを使ったのですが、数学を音楽になぞらえるのって何かカッコよくないですか? 戯言でしたが、つまり、全体を貫く一つの流れというかメッセージというか、そういうものを感じたのです。以下は30代の男性の読後感です。


 高校生っていいよなあ、と思いました。主人公の『僕』が数学と真摯に戯れているのが無性にうらやましかったです。自分にも一応高校生の時代がありましたが、今思うと何だか無為に費やしてしまったような気がします。
 自分は学校で教わったことしか勉強しない生徒でした。それなりに理系に興味があり、結局そういう大学に行くことになるのですが、興味をどう扱っていいか分かっていなかったのだ……と今思います。あの当時はインターネットがありませんでした。私の親は大学に行っておらず、また金持ちでもありませんでした。通っている公立高校には偏差値で輪切りされた均一な生徒だけがいました。その中で何となく周りにあわせて、「普通」に振舞うことがいいような気がしていました。
 一方、『数学ガール』の『僕』の回りには同じ嗜好を持つ二人の女の子(!)と良問で導いてくれる数学教師がいます。その環境で『僕』は数学の世界に深く入っていくのです。「好きなことをする」という明確な意思をもちながら。


 結論として、こういうメッセージを含む本に出会える2007年の若者は幸せだろうな、としみじみ感じます。上に書いたような高校生活を、私は後悔しているわけではありません。ただ、この本を読むことができたならば少し広い考え方をするようになっていたかも、と思うのです。面白い、と感じたら学年を飛び越えて数学を楽しめばいいし、そもそも「普通」という枠を規定したり、自分をその枠に閉じ込めておく必要なんか全然なかったんです。


 残念ながら『数学ガール』は30代には直接的な効能はありませんでした。けれども、読後にこのように考えをめぐらせることができたのは収穫だったと思っています。加えて、しばらく避けがちにしている仕事上の小難しそうな理論を、まじめに取り組んでみようかと今考え始めたところです。
 そんなわけで、様々な視点を紹介してくれるミルカさんと、的確な質問で理解のチェックをしてくれるテトラちゃんを個人的に募集しています。一緒にPaperを読んでください、お願いします!

ぬこ


 朝刊を五紙抱えてリビングへ向かった。ドアを開けて中に入ると、サヤカがソファーにだらけて座っているのが目に入った。着ているパジャマのボタンはいくつか外れていて、きわどいことになっている。
「おそーい」
 サヤカは顔も動かさずに言い放った。テレビに見入っている。相変わらず、自分は男だと認識されていない、多分。ただの『お手伝い』。来た時間はいつもと変わらなかったけれど、たまたま今朝彼女は早起きしたようで、寝起きの不機嫌さをストレートにぶつけてくる。
「ねえ朝ごはん、まだあ」
 適当にそれに相槌を打って、キッチンに入った。炊飯が終わっていることを確認する。インスタントの味噌汁でいいかサヤカに尋ねた。そしてお湯を沸かす。ここが勘違いされやすいところだ……即席モノはお湯の温度と分量で100%決まる。ゆめゆめ軽んずべからず。だてに一人暮らしを何年もやっていない、いや全くもって自慢するほどのことではないのだが。


 スクランブルエッグを作っている最中、背後から猫の鳴き声が聞こえた。猫はヒナコのように感じられたので、フライパンの火を止め振り返って丁寧に、
「おはようございます、ヒナコさん」
 と挨拶した。その後猫を抱きかかえようとしたところ、ひっかかれずにすんだからやっぱりヒナコだと確信した。
「まだお姉ちゃんかどうか見分けられないの?」
 サヤカはいつも馬鹿にしたように言う。
「お姉ちゃんの時は、ひげの動かし方から歩き方まで全然違うんだから」
 とはいうものの、どこまでいっても外見は普通の猫なので、自分には状態の判別は難しいのだった。


 リビングに隣接する和室にヒナコである猫を連れて行く。部屋の真ん中で降ろし、そこを中心にして弧を描くように朝刊を配置する。新聞は後ろから読む、というヒナコのためにテレビ欄から一枚めくった状態にしておく、ただし日経は例外である。新聞同士は重ならないように気をつける。猫は行儀よく座り、作業が終わるのを待っている。時々毛づくろいをしたりもする。
 今朝も配置に満足してくれたようだ。やがて、猫はその狭い額を紙面にこすりつけるようにして読み始めた。こうなればもう構う必要はない。猫は自分の足を器用に使って一ページずつめくって読み進めていく。後ろから見ているとしっぽがふらりふらりとゆれていた。キッチンに戻ることにした。


 テーブルに朝食の皿を並べる。調理中に間が開いたせいで硬めに仕上がったスクランブルエッグ、持ってくる直前に絶妙の技で調合されたインスタント味噌汁、ご飯、それからミニトマト。それは水に沈むぐらい甘いとサヤカは言っていた。
「フォークも持ってきてね」
 サヤカに頼まれて、もう一度キッチンに戻った。自分一人だと洗い物を少なくするために、全部箸で食べてしまいがちなのだが。フォークの入っている引き出しを空けている時にヒナコのことを思い出した。人間分しか準備していなかった。
 そこで、奥の棚に手を伸ばしてキャットフード缶をとる。皿も用意する。昔CMでは見たことがあったけど、まさか本当に猫のためにエサの盛り付けまでするとは。缶を開ける。小気味よい音がした。


 席に戻ったちょうどその時だった。
「ああっ、猫に戻っている!」
 サヤカの声とともに、クシャクシャという音が和室からした。見ると猫がものすごい勢いで朝刊と戯れている。もう猫はヒナコではないようだ。新聞の一枚がふわりと持ち上がった。野球選手らしい写真が見えたが、次の瞬間それは歪みすぐに紙球と化した。
「だめなんだから、お姉ちゃん、また後でそれ読むんだよ!」
 混乱したサヤカは意味不明に言う。猫は和室の隅へとそれを転がした、そして追いかけた。サヤカはこちらを見る。何とかしろと言わんばかりに。
 仕方なく、被害を最小限に食い止めるために和室に向かった。手早く残っている新聞を片付ける。テーブルを振り返るとサヤカと目が合ったが、彼女はすぐにそらしてテレビのほうを向いた。
 食事のときはテレビを消す! という言葉を飲み込んで、部屋の隅にいるヒナコではない猫の捕獲行動に移った。